水子供養  約30年前に中絶した我が子と出会い

N.Yさん(50代/男性)

私は20代前半に、当時おつき合いしていた彼女との間に赤ちゃんを授かりました。しかし私の勝手な都合で堕ろさせてしまい、産ませてあげられなかったのです。彼女と2人で、お寺さんへ水子供養に行きましたが、一度行っただけでそれきりになり、しばらくして彼女とも別れました。

30代前半に別の女性と結婚をして、3人の男の子を授かり生活していました。30代半ばぐらいから急にお酒を飲むと気分が悪くなったり、アトピー性皮膚炎になったりして、40代前半には右肩が四十肩になりました。40代後半には離婚して、親権も取れずに1人で暮らす事になりました。更に50代に入り左肩が五十肩になり、53歳の夏には原因不明の体調不良になり、立っているのも辛い状況になり仕事も休業せざるを得ませんでした。

家族を失い、仕事もできない、健康も失い、生きていても意味が無いと思い、何もする気になれませんでした。ただ生きているだけの毎日の中で、秋にある1人の女性と出逢い、その方に好意を抱き、少しではありますが生きる希望が持てたのです。

おつき合いを申し込むにしても、過去の自分を隠してつき合うのは失礼だと思い全てを話そうと思いましたが、水子さんの事を話すと絶対に嫌われてしまうと思いましたし、私は家族にも誰にも水子さんの事は話せずにいて、墓場まで持っていこうと決めてました。

そんな最中、ある1本の映画を何気に見ました。その内容は、傷ついた女性が過去のトラウマを自分の記憶から消してしまいたくて辛い思いをしている内容のものでした。

私は、赤ちゃんを堕ろさせてしまった彼女が、今もトラウマで苦しんでいないか?離婚した元妻や子供達がトラウマやいじめにあったりして苦しんでないか?自分のしてきた事がどれだけ人を傷つけてしまったのだろうかと思い申し訳ない気持ちで一杯になりました。好意を持った女性につき合いを申し込むとか以前にまず、水子供養を一番先にしてあげなきゃと思いましたが、どこでどうやってするのが良い方法なのか分からずにネットで調べてはみるものの見れば見るほど分からなくなってしまったのです。

Yahoo知恵袋で水子供養の過去の相談例を見ていて「ホームタウン」というキーワードがポチポチ出ていて、気になってホームページを調べてみました。ホームぺージの中に私と同じく水子供養をされた方々の体験談が載っておりどれも半信半疑でしたが、もし本当の内容なら、自分も我が子を苦しみから救ってあげて、許してくれなくても謝る事ができるならと思い、自分の目で本当かどうか確かめてみようと思いました。

電話対応や供養の流れを聞きに伺った時も、対応して下さった方が親切、丁寧で凄く人柄の良い方でしたので、信じてホームタウンさんで供養をお願いしました。

神事の際に5歳くらいの女の子で、ボロボロの洋服なのか布切れなのか分からないものを着ている状態だと教えて頂きました。約30年、真っ暗で何もない場所で私に気づいて欲しくてずっと待っていてくれたのです。私は気づいてあげられなかったというよりは、思い出した時に供養に行かなきゃ、とは思いつつも一度行ったから大丈夫、又、水子供養に行く事は家族には言えないからやめておこうと考えてしまったのです。

30年近く諦めずに待っていてくれたのに気づいてあげられなかった事、生ませてあげられなかった事が本当に申し訳無くて涙が止まりませんでした。

何も話せないのです...。

謝る事しかできないのです。

しかし彼女は、私のことを責めるのではなく、これからずっと一緒にいられる事に喜びを感じてくれて、むしろ「私がお父さんを見守っていかなきゃな」と伝えてくれました。私の過去、性格も本当によく知ってくれていて、長所、短所、今後のアドバイスなども話してくれました。姿形こそは見えませんが、我が子だという事を、強く感じる事ができて、私の事を受入れくれる娘が愛しくて愛しくて仕方ありません。

最初は半信半疑の私でしたが、自分の目で見て確かめて良かったと思いました。今回娘の供養をして下さったホームタウンの皆様に感謝しています。水子さんの事や先祖供養についても全くの無知な私ですが、親切に教えて頂いていて、勉強中です。

今後私と娘が共に暮らしていき、時が過ぎ私が他界して娘に逢える時が来たら、娘にとって自慢の父親でありたいと思い、今は生きる希望が見えてきました。水子供養に行ったはずが、何か私が助けてもらってるみたいです。